2016年を大まかに振り返って2017年以降はどうしようかなと
2016年も残りわずかですね
2016年は本当にいろいろなことがありました。ありすぎて、2016年の1月のことが10年ぐらい前のように思います。数字に収めるのが難しいので、本当はもっと長い気がします。どのくらい長いのかはわかりません。
今年はどうだっただろうか
どうだったのでしょうか。いろいろなことをしたような気がします。3月4月もひどかったですが、7月8月くらいはすごくひどかった気がします。
いろいろなことがありすぎて、もう思い出そうとも思えないくらい、たくさんのことがありました。
最近1ヶ月
最近1ヶ月は、薬も段々と減っていっています。とはいえ、何故か夜になるとしんどい思いをしているような気がします。
家を出たくて試行錯誤しましたが、うまくいかなくて結局実家のままでした。多分、これから何かない限りは実家に家賃を払って過ごすのだと思います。
来年はどうか
来年のことはわかりません。「今のままでいい」のかもしれませんし、「今のままではいけない」のかもしれません。
邯鄲の枕の通り、結局田舎に帰っちまったほうが楽なのかもしれませんし、楽ではないのかもしれません。逆に、都会に行ってしまったほうが楽なのかもしれませんし、楽ではないのかもしれません。
当たり前が当たり前でない
他の人の当たり前が、ぼくにとって当たり前でない時があって、結構たいへんだな、つらいなと思う時がありました。それできたら苦労しないよとも思いましたが、まあそうだよねとも思います。
何がしんどいの
むずかしいのです。本当にどうにもならなくて体調が悪くてしんどいときもあるし、仕事が行き詰まってとか、お金がなくてとかそういうのがあった気もしますが、なにがしんどいのか、その具体的な内容を理解するのはむずかしいです。
もしかすると、自分のなかに理想があって、それが苦しめているだけなような気がします。今でいいのかもしれません。将来のことなんてどうせわからないから、開き直ってそのままでいいのかもしれません。
自分の過去には、自分のせいでこうなったというのもありますが、自分ではどうにもならないのもありました。自分ではどうにもならないので、すごく苦しかった。だからそういう苦しい思いをしたくないのかもしれません。
そう考えると、また、自分ではどうにもならないことが起こってくるのではないかとか考えてしまう。そうすると、どうにもならないことのために備えるみたいな、「ありとキリギリス」のありのような行動をしているのかもしれません。
でも、どうにもならないのであれば、どうにもならないのであれば、ありのようなことをしてもしょうがないのかもしれません。苦しいだけなのかもしれません。
やりたいことはなんだろう
ぼくがやりたいことはなんだろうというのはこれからさがしていこうと。ようやくそういう考えができるようになったのかなと。やりたいことのためにリスクを取るのがたぶんいいのであって、それでダメならダメなのでしょう。世の中はそういうふうにできているのかもしれません。もちろん、そうではないのかもしれません。
そういえば、来月は29さいになるので、もうアラサーなおっさんなわけですが、最近になると身体が衰えているというのがなんとなくわかります。そのために走ったり、歩いたりしているわけですが、それでも昔と違うな、だめになってきているなとおもいます。ここでいうだめになっているというのは、衰えるのは仕方のないことだとおもうということなので、多分事実なのでしょう。ネガティブな意味ではないです。
明るい未来のためにとかそんなことは思わず、やりたいことをやる。ダメだったり、向いてなさそうだったり、つらかったりしたら休むか、最悪辞める。そんな2017年にしたいなと。