データが無くなるのが一番怖い
コンピューターは「データ」を作る道具だということなんだろう
今のコンピューターが壊れたとしたら、コンピューター自体が壊れたことを嘆くとおもう。
ソレと同時に、コンピューターのハードディスクに保存していたデータを何とかしてでも救出しようとすると思う。
なんでデータを救出しようと思うのか
考えてみたら、コンピューターは買い直せるけれど、データは消えてしまうと取り戻せない。たとえば・・・
- 写真
- ビデオ
- 録音
こういうのは、その瞬間を記録するものなので、そのデータが消えてしまうと元の形を再現して記録するということが出来ない。
だから、何としてでもデータを救出しないと、と思うんだろうなと考えた。
そしたらコンピューターとはなんだろうと考えた
計算機である。計算する道具である。
計算した結果を保存してあとで閲覧できるようにしておけば、それはデータである。
コンピューターに計算させて、データを作る。それは写真だったり、ビデオだったり、音楽や音声だったり文字だったりするわけで、そう考えるとコンピューターは「データを作る道具」なんだなと思った。
データは貴重なものです。
結局、人がコンピューターを使って作るデータには、何かしらのオリジナリティがあると思う。そのデータが消えてなくなってしまうと、再現ができないので、非常に貴重なものである。少なくともその人にとっては。
だから、データはなんとしても守らないといけない。大切なモノです。
プログラマーとデータ
ここで言う、コンピューターとは、コンピューターに必要なもの全部をひっくるめてコンピューターとしたので、プログラムとはその1パーツであると思うのですが、そうだとして。このエントリーとちょっと話がそれるかもしれませんが。
データを作る道具を作るのがプログラマーなのだろうか。道具を使うユーザーがどのようにしてデータを作り、閲覧するのか。そういう導線を作る、というのがプログラマーなんだろうかと言えなくもないかもしれないなと思ったのです。
いろいろなWebサービスを使ってきましたけれども、いきなり閉鎖になった時に、データがなくなる事になったり、バージョンアップでそれまでのデータの閲覧がしづらくなったりしたときに、なんとなく思ってたことを文章にしてみました。